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亀末広の七夕菓子-星のたむけ(京都市下京区)

④KYOTO CITY,uji yawata &more(京都市宇治八幡ほか)

七夕

七夕とは?

七夕は日本に入ってきた当初、貴族の文化であった。

日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。

「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。

そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある[4]

日本では、雑令によって7月7日が節日と定められ、相撲御覧(相撲節会[5])、七夕の詩賦、乞巧奠などが奈良時代以来行われていた[6]。その後、平城天皇7月7日に亡くなると、826年天長3年)相撲御覧が別の日に移され[7]、行事は分化して星合と乞巧奠が盛んになった[6]

乞巧奠(きこうでん、きっこうでん、きっこうてん[8]、きぎょうでん)

乞巧祭会(きっこうさいえ)または単に乞巧とも言い[9]、7月7日の夜、織女に対して手芸上達を願う祭である。古くは『荊楚歳時記』に見え、玄宗のときは盛んに行われた。この行事が日本に伝わり、宮中や貴族の家で行われた。宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針のあなを貫いた。一晩中香をたき灯明を捧げて、天皇は庭の倚子に出御して牽牛と織女が合うことを祈った。また『平家物語』によれば、貴族の邸では願い事をカジの葉に書いた[10]。二星会合(織女と牽牛が合うこと)や詩歌・裁縫・染織などの技芸上達が願われた。江戸時代には手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。なお、日本において機織りは、当時もそれまでも、成人女子が当然身につけておくべき技能であった訳ではない。

明治6年(1873年)1月4日、太政官布告第一号で神武天皇即位日と天長節の両日が祝日として定められると共に、徳川幕府が定めた七夕を含む「五節句」の式日が、次の通り廃止された[11]

wikipediaより

亀末広 七夕限定のお菓子 「星のたむけ」

亀末広さんには7/7限定販売のお菓子「星のたむけ」というお菓子があります。こちらは予約のみの販売となります。6/30までに予約注文をすれば7/6か7にいただくことが出来ます。

箱をあけると7つのお菓子が入っています。ひとつずつ解説していきます。

 

〇鞠(落雁)一番上
蹴鞠の形。小豆の漉し餡が入っています。
〇願いの糸(葛)上から二段目左
小豆の漉し餡の葛菓子を二枚の笹で十字に包んで、三色の糸で結んであります。
※笹からくるんだものから開封したものです。
〇瓜つふり(外良)上から二段目右
白餡入りで半分に切った形となっています。
〇ありの実(薯蕷)下から二段目左
「梨」のことだが「無し」と同音で縁起がよくないので「有りの実」となっている。小豆の漉し餡がはいっています。
〇天の川(道明寺)下から二段目右
真ん中に薄緑の天の川。両側に道明寺で星を表した琥珀羹で表現。
〇索餅(求肥)一番下右
くちなしで染めた1本の求肥を捻ってあり、索餅を延ばす作業を繰り返すと、だんだん細くなり現在の「素麺」になったと言われています。
〇梶の葉(こなし)一番下左
「こなし」で形づくられた2枚の梶の葉の間には小豆の粒餡が入っている。

七夕の歴史・お菓子などの由来

七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な五節句のひとつです。
毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊を笹の葉につるします。

棚機(たなばた)とは?

元々日本では、たなばたとは棚機と言い、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。 「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ選ばれた乙女は、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのがという棚機という織り機です。 やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。

おりひめとひこぼしの伝説

琴座のベガと呼ばれる織女(しょくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。
この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕の物語が生まれました。

乞巧奠(きこうでん)

 乞巧奠は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げます。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。

日本に伝わった七夕の行事

平安時代にその話が日本に伝わると、宮中行事として七夕行事が行われるようになりました。宮中の人々は桃や、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。サトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。梶は古くから神聖な木とされ、祭具として多くの場面で使われてきました。

 

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